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カウンセリング日記 20100607 その1 [カウンセリング]


今回のカウンセリングでは
たくさんのことを話しました。
現在のことから
過去のことまで
多岐に渡っていますが
その中から数個
抜粋して書きたいと思います。

幼い頃の私は
1人で行動することが多く
小学校の4年生くらいから
病院に1人で行ったり
映画館に1人で行ったりしていたのですが
どうしてそうなったかと言えば
母親が駆け落ち蒸発してしまったのもありますが
それ以前に
あまり母を頼っていませんでした。

母は、実の母ですが
幼い頃から働きづめで
あまり接触がなかったのもありますが
口を開けば『グズ』だの『理屈っぽい』だの
文句しか言われなかったので
と言うのか
言葉の暴力に近かったので
母の前では勉めていい子にしていて
(でも、悪いことをしてしまう…)
母の顔色ばかりうかがっていて
あまり一緒にいて嬉しくなかったので
正直、母が蒸発してくれて
別に何とも思っていなかった節があります。
あるとすれば
それが引き金でいじめられるとかなのですが
それに気付くのがもう少しあとで
(母は、小3位に蒸発した)
その時はあまり考えていなかったですね。

それよりも
その小3の頃から
色んなことができるようになり
私が急に明るくなったので
母がいない方が
のびのびとしていたのかも知れません。

母は、蒸発しても
何度も出戻ったり蒸発したりの繰り返しで
不倫相手と別れたり寄りを戻したりで…)
それに対してはかなり冷めてましたね。
母が戻ってきても
また出て行っても
全く涙はありませんでした。

元々、母との楽しい想い出もないし
あるのは叱られた想い出ばかりで
しかも
これは発達障害がわかってからわかったのですが
私の特殊な時間軸のせいで
(すぐに過去になるけど、並びは同列)
『古いことをほじくり返す』
『根に持つ』など
古いことが昨日のことのように思いだされるのを
悪のように言われていたので
本当に母と話す時は
顔色をうかがいながら
やけに明るい
変なテンションで話していました。

それと理解の問題もあり
母が蒸発しても
そんなに深刻に受け止めてなかったのです。
小5の頃に
近所の年下の子に
「ひかりこちゃんのお母さんは逃げた。」
と、言われて
初めてそれを自覚したと言うのか
周りの人にそう見られているのかと
すごくショックを受けたのを覚えています。

思い返せば
その頃からいじめがひどくなり
不登校を繰り返していたような気がします。

そして、中1の途中で転校するとともに
蒸発していた母が戻ってきて
また一緒に暮らし始めたのですが
それ以後も
決して良い親子関係ではありませんでしたね。


母に関することは
まだまだたくさん話しましたが
今日はこの辺で…。

母や発達障害に関することで
少し気付きもあったので
そのお話は
状況の説明の後に書きますね。
まずは、状況説明から始めました。


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