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K先生の不調 [カウンセリング]



今日は、通院日なので

カウンセリングがあったのね。

出だしは順調に話していたけど

途中で私とK先生と声がかぶる時があって

私の方が話を続けちゃったら

K先生が珍しく嫌そうな顔をしたのね。



もちろん、そんな状態になることなんて

普段はまったくないK先生だけど

その瞬間は、私の方がいけないことしたって思って

私の行動特性である

”下手こいたら世界の終わり”感に

しばらくさいなまれちゃって

色々話しながらも

また粗相してはいけないと

K先生を凝視して観察始めちゃって…。



そしたら、ちょっと見ていたら

どうも眠いのか何なのか

辛そうな感じだったの。

私は、お眠いのかと思っていたけど

ちゃんとことわってから

最後に先生に聞いてみたら

最近、とても疲れていて

今日は、お話に集中できなかったとのこと。



多分、途中で嫌な顔をされたのも

そのせいなのかな?

咄嗟に出ちゃっただけで

他意はないのかも知れないけど…。

だけど、そう思いつつも

私は、相変わらずやっちまった感で

少し墜ちちゃったのね。

気にしぃすぎなんだけどね…。



私には、こうやって

気にしすぎちゃうことが多くって

人に嫌な顔をされるのが怖いのね…。

PTSDやトラウマってもんなんだ。

幼い頃から叱られることが多くて

(特に両親は理不尽な怒り方をするし…)

人の顔色を見ちゃう癖がついちゃっているの…。

しかも、よく無意識や不注意で

色々とやらかしちゃうから

人と話していても

どうしても表情が気になっちゃうの…。

だから、人と話していても

楽しいと思いつつも

やらかさないように

嫌われないようにしたいために

ついつい話を合わせちゃったり

気をつかっちゃったりしちゃう…。

別に、自分に置き換えて考えてみたら

ちょっと嫌なことがあったって

そんなに簡単に人を嫌ったりしないんだよね。

これは、近しい人でもそうでない人でも

ほとんど関係はなくって

誰に対してもそう言うのがあるの。

強いて言えば、

今の家族だけは

嫌な顔をされても気にならない。

でも、結婚前の家族には

嫌な顔をされたら怖くなっちゃう…。

本当に理不尽なんで…。

父も母も、すぐに表情に出ちゃう

喜怒哀楽の激しい人だし

父は実際にDVな人だし

母は言葉や態度のDVな人だし…。



私が幼い頃から

気分にムラがあるって言われていたのは

今考えてみると

絶えず人の顔色を見ているから

それに対して一喜一憂しちゃって

思いっきり左右されちゃってるからだね。

最近わかってきた。



K先生のカウンセリングを始めた頃に

K先生から

楽しい話は本当に楽しそうだけど

辛い話や悲しい話は無表情だって

そう言われたことがあって

それまでそんなこと知らなくて

今まで、意外と表情に出ていたのかなって…。

無表情なのは、ある程度

自分で訓練しちゃっているみたいで

今でもあんまり変わらないけど

最近は、昔の嫌な話をしても

そんなに墜ちることはなくなったって

今日、K先生に言われたよ。

確かに、うるっと来ることが

とても少なくなった気がする。

父や母の話も

笑い話みたいに話せる時もあるしね。

前だったら、絶対に泣いていた。



M先生にも

カウンセリングを始めた頃に

先生が何か言った時に

私が怪訝そうな顔をすることがあったって。

多分、色々探っていたんだろうって

そう思ったって。

私は、あんまり気づかなかったけど…。

反対に、M先生が怪訝そうな顔をした時があって

その時は、それをずっと引きずっていて

何か不快なことを言ったんじゃないかとか

私は嫌われているんじゃないかとか

そんなことばかり考えていたのね。

本当に、人に嫌われるのが怖いの…。

自分に自信がないからなんだろうね…。



そうそう

K先生は、私のPTSDやトラウマを

治療したいって気持ちはあるみたいだけど

大きな爆弾を抱えていそうなんで

やっぱり慎重になってるみたい。

今日もそんな話になったよ。



私は、大昔のことも最近のことも

同じ時系列に並べちゃってて

普段は、最近のことも

大昔のことになる傾向がある反面

思い出しちゃったら

ついさっきのことのように

思い出しちゃうことがあるから

古い記憶を取り出し

調子が悪くなっちゃう心配があるみたい。

しかも、多分だけど

相当にショックだったことや

嫌なことされた記憶とか

忘れたことにしているふしもあって

思い出させるのもどうかってのがあるみたい。

実際、思い出せない顔とかもあるの。

記憶がぼやけているの。

それもそんな昔の知り合いでもないよ。

本当に顔が思い出せない…。



だってね、赤ちゃんの時の記憶もあるし

その時々に関わった人の顔とか出来事とか

ビックリするくらい覚えているのに

すごく親しくしていたのに

顔が思い出せないんだよ。

ちょっと不幸なことがあったんだけどね。

出来事の方は覚えていても

その人の顔が浮かんでこないの…。



その人の存在は、覚えていても

多分、もっと昔のことで

絶対に忘れたことにしている

そんな忌まわしき出来事が

何個かある予感はしている。

特に、治療を始めた頃よりも

ぼやけちゃってる記憶はあるから。

昇華できて良い意味でぼやけたことと

触れられると嫌だから

ぼやけちゃってることと

両方が存在すると思う。



もちろん、外的要因もあって

頭の働きを鈍らせる薬を飲んでいるから

そのためにぼやけている部分もあると思うし。

その薬を飲んでいるおかげで

頻繁に起きていたフラッシュバックが

あんまり起きなくなったんだし

休むことが少ない脳による疲労

少し和らいできたし。

ただし、記憶力とかが落ちた自覚もあるけど

それを天秤にかけても

この薬を飲んでいた方がいいしね。



何か、書いていたら

少し落ち着いてきたよ。

別にK先生に何か思われようと

それで何か劇的に変化するわけでもないし。

もう長年カウンセリングしているから

他の人には言えないようなことを

たくさん話しちゃっているから

(M先生にもだけど)

今更なんだけどね。

やっぱり顔色見るのは直らないなぁ。



今回は、K先生が不調だったってことで

あんまり気にしなくても良い気がしてきた。

ちなみに、私の後にも患者さんがいて

いつ終わるのかって催促も2回あったから

そっちに気を取られていたのもあるかも。

そう思おう。





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7年目突入! [カウンセリング]



昨日のカウンセリングの帰りに

気付いたのですが

昨日でM先生のカウンセリングが

7年目に突入しました。



長いなぁ!



てか、

私の場合は

完治のない障がいって分野なんで

キリってもんがないんですけどね…

M先生とお話していると

元気が出てくるんで

「来るな~!」

って、言われるまで

通い続けます。





それにしても7年…。

7年前は

抑うつ状態の絶頂期で

とにかく

起きてれば泣いている

それ以外は寝ている…

もちろん家事放棄…

(それは今でもだけど(汗))



なんとか起き上がれて

少し活力があるときに

無料電話カウンセリングに電話して

お話聞いてもらって…



で、そんな中で

ひょんなことから

電話のカウンセラーさんに

ADHDのこと教えてもらって

そのとき言われた

「もっと昔にわかっていたら

 世界は変わっていたかも知れませんね。」

って、言葉で

そこから色々と調べて…



そこから紆余曲折があって

M先生にたどり着いたのだけど

この先生と

病院のK先生と

日本橋のH先生と

そして

それまで4年かかっていたけど

そんなに好きではなかったE先生に

(今では大好きです)

出会えてなかったら…

今の私はないでしょう!





そんな7年目のカウンセリングですが

話した内容は

この頃のおかしな子育てのこととか

(少し前の日記ご参照下さい)

ネットに対しての無防備さとか

そんなことを話したのと

いつものように

発達障がいな話をしたのと…



子育ては

自分の子のことから

いずれ生まれて来るかもな

うちの娘たちの子(つまり孫)のこととか

そして

世の中の発達障がいの子の話とか

結構、濃く話ました。



うちの子の場合

ちょうど発達障がいに対する取り組みの

端境期に当たったので

少し下の年なら

それなりのケアをしてもらえたかもだけど

気付かれずに普通学級に通ったので

少し苦労したのですが

今の教育方針的には

子供に対して

かなーり緩くなったので

その代わり

苦情?とかは私のところに来て

しょっちゅう学校から電話が来て

いつも注意されてて

注意されれば幾分かは対応できるけど

それが続けられるのが3日くらいなので

継続できない自分に落ち込んだり…

母親失格って悩んだり…



てか、

うちの中で

多分、重度なのは私なので…

娘たちは軽い方みたいなので

余計に負荷がかかったみたいな…



そう考えると

昔の管理教育の中で

まだまだわからなかった概念の

発達障がい児だった私が

担任とかに目の敵にされたのは

かなーり不幸だったんですよね…



娘たちが

そんな状態の中で学校生活を送らなくて

良かったなぁって思いましたよ。

私にとっては大変でしたけど…

娘たちが責められなくて

その点は良かったですよ。



でもですね、

たまたまうちの娘たちは

良い学校生活を送れたけど

その子どもたちはどうなるかわからないし

私は診断を受けたときに

脳の形とかから見て

先天であるのは間違えないってことなので

(だから発達障がいなのだけど)

遺伝性が結構高いらしいから

やはり色々と学んでいかないと

いけないなぁって思っています。



てか、

少し前からの夢の

私自身が発達障がいとかを研究したいのは

私みたいに

不幸な学校生活を送る子を

1人でもなくしたいのと

育児に悩んでいる

発達障がいの親たちのケアをしたいから…

本当に発達障がいを持ってる親たちは

自己評価が低くなりがちだから…



私みたいに

大人を見られる発達障がいの専門医や専門家を

探し当てるのは

至難の業ってくらい少ないから

なんとかしたいって気持ちが強いんですよ。



いつか

その夢が叶うといいなぁって思ってます。

難しい道だとは思いますが…

(私の方の問題でですが…)

頑張ってみたいです。





ってことで

M先生と熱く語っていたら

予定より10分超えてました(汗)



たまたま後の時間に

予約の方がいなくて良かったです。





それにしても

6年前の話の内容とは

丸っきり違いますね…。

当たり前ですが。



でも、本当に

M先生に出会わなかったら

今の私はいませんので

本当に大切な方です。

出会えて良かったです。
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カウンセリング日記 20100607 その3 [カウンセリング]


前回から少し時間を置いてしまったので
果たして思い出せるか自信はないのですが
今回は、小学校高学年からのことを書きますね。

私の不登校が1番激しかった時期は
小学校高学年の時ですが
いじめが1番ひどかったのも
この時期だったりします。

私は、顔の造作もあまり良くないのですが
名字もちょっと変わったもので
その造作の悪い顔と
まるでリンクしているようなったので
それがいじめの原因でもありましたが
もちろん、対人コミュニケーション障害や
独特の行動特性も
いじめの要因になっていました。

意外なのは
母が駆け落ち蒸発していることでは
ほとんどいじめられたことはなかったです。
私の住んでいた地区は
市内でも治安の悪いところで
同級生たちも様々な環境で生活していたので
その辺りに干渉することはなかったです。
本当に様々でしたので…。

で、小学校の高学年の時に
ちょうどタイミングが悪く
小学校が2つに分かれて
私は新しくできた方の小学校になりましたが
仲の良い子たちが
古い方の小学校になったりで
余計に孤立しやすい状態になっていました。

そして、その頃からなのですが
自分が人と少し違うのではないかと
漠然と思うようになっていて
日々、色々なことを考えていました。
そして、本をよく読むようになり
それにつれて空想の世界に
浸るようになっていきました。

その頃ですね、
強烈に性への目覚めがあり
そう言うことへの興味は
人一倍強かったと思います。
そんなことも合わせて
物思いにふけっていたと思います。

とにかく学校へ行かなくて
テレビを見たり
本を読んだり
好き勝手をしていたのですが
母がいないので
炊事を祖父と分担していて
祖父は片足が不自由で
買物に行くのが大変だったので
不登校をしているにも関わらず
近所の市場などに
買物には毎日のように出かけていました。
周りも私が不登校なのは承知の上で
買物に出かけているのは認めてくれていて
反対に色々と助けてくれたのを
覚えていたりします。

そして炊事をしていたのですが
今から思うと自分でもすごいと思うくらい
飲み込みが早く
大人顔負けの料理を作ったりしていて
味覚がとても優れていることに
周りも含めて気付き
ひかりこちゃん=何でもできる子って感じで
認められていたような気がします。

不登校をしていても
学校へ復帰すれば
勉強も上の上な成績だったので
休んでいるにも関わらず
ほとんど5に近い成績でした。

特に家庭科、音楽、図工がすごくて
いじめられっ子の不登校児にも関わらず
図工の時などは
いじめっ子に教えたりする役をやっていました。
おかしかったのは
校外へ写生に出かけると
私の横には
いじめっ子たちがズラッと並んで
私と同じ風景を描きたがりました。

音楽で歌のテストがあれば
私と同じ歌を選択して唄ってました。

家庭科では、同じ班になりたがったり
とにかくいじめられっ子とは思えないような
希有な扱いを受けていました。

そこで困ったことがあったのですが
私は、これらのことを
別に自慢げに書いている訳ではなく
これができるって素直に書いているのですが
これと同じようなことがいつも起こり
できることをできると言ってしまうので
それが自慢と取られたりしてしまい
それも癪に障るのか
いじめの一因になっていたような気がします。
そういうスキルがないのです。
なので、反対に言えば
素直であるがために
言葉をそのまま受け取ってしまい
裏の意味とかを考えることが苦手なのです。
本音と建前をはかるのが
とても苦手だったりします。
なので、途中で混乱して
かえって裏読みしようとしたりします。
途中でわからなくなるのです。

もちろん、
言葉の裏を読むのが苦手なので
嫌味や妬みがわからず
ストレートに受け取ってしまい
後で嫌な思いをしてしまったり…。
後でと言うのは
どうしてもタイムラグが生じるので
その場でわからなかったりして
後から気付くことが多いのです。
そうするとものすごく悔しかったりします。
恥ずかしかったりします。

そんな感じで
この時期はとても辛かったですね。

ちなみに育児書的なもので読みかじったのですが
この時期に色んな目覚めがあるそうです。
発達障害児が
人との違いに気づくのも
この時期だったりするそうです。
確かに、この時期を境に
不登校やいじめがひどくなった気がしますね。
とても難しい時期だそうです。


では、今回はこの辺で…。


カウンセリング日記 20100607 その2 [カウンセリング]


今回のカウンセリングでは
学校時代の話もしました。

私の学校時代は不遇なものでした。
不注意がよく出ていたので
友達と約束しても忘れてしまい
約束を破るのは日常茶飯事…
つい余計なひと言を言ってしまい
その場の空気を乱したり
みんなで秘密にしたことを
罪悪感に耐えかねて暴露してしまったり…

特に大きかったのは
幼稚園から小学校低学年くらいまでの
担任に目の敵にされ
そのためにクラスメイトにも責められ
それがいじめに発展していくパターンで
学校では生きづらくなっていました。

どうして目の敵にされるのかと言えば
集団になじめなかったりと言うこともありますが
やはり忘れっぽいので
物忘れをしたり
忘れ物をしてしまったり…
だらしないってことで
しょっちゅう責められてましたね。

集団になじめないのは
対人コミュニケーション障害が
あらわれていたと思うのですが
どうしても1人でいるのが好きで
外で遊ぶ時も
大体は滑り台か鉄棒で遊んでいましたね。
1人で遊べますもの。
特に鉄棒は
1人で黙々とやれるし
園庭のすみにありますし
幼稚園の頃には
1人で逆上がりができるようになっていました。

部屋で遊ぶ時は
大体絵を書いていました。
そしてその時に思い出すことがあるのですが
私は、お絵描き帳1ページに
絵を1つしか書きたくなくて
すぐにお絵描き帳がいっぱいになり
担任に新しいのを買いたいと言うのですが
担任は余白に描けと
新しいのはくれなくて
いざ余白に描こうとすると
全く描けなくなるので
そう言う点を責められたりしました。
この時期からこだわりが出ていたんですね。
描けなくなるのは理屈じゃないので
自分自身でも不思議な感じでした。
描こうとすると手が止まるので…。

そんな幼稚園生活を送っていたので
担任の前で何かをするのが怖く
何もできなかった気がします。
後日、母が言ったのですが
本当にハーモニカや折り紙が何もできず
担任の方も呆れていたらしいです。

そんな感じで小学校に進学したのですが
最初は、小学校ってものがわからず
気が付いたら入学していたって感じで
毎日行くのが嫌で
いつも暗い顔をしていたと思います。

加えて、これまた担任が厳しい人で
とにかく目の敵にされ
何もしていないのに叩かれるのは
日常茶飯事で
怖かった印象があります。

ただ、あまりにも嫌な思い出だったのか
その担任の顔は忘れてしまいました。
忘れたかったのだと思います。
声も顔も全然覚えていません。
覚えているのは名前だけです。

この担任の時も
何もできなかったです。
その後の担任に恵まれて
まるで別人のように
何でもできるようになるのですが
とにかくこの時期は辛く
気がつけば、
陰で万引きをしたり
家からお金を持ち出したり
虚言癖があったり
行為障害がたくさん出ていた時期に
符合してしまいます。


こんな風に
発達障害がもたらしたものと
対人的な不幸とが重なって
私のこの時期は
とても暗いものでした。
それでも本人的には
他の子と違っているとは
思ってなかったみたいです。

今日はこの辺で…




カウンセリング日記 20100607 その1 [カウンセリング]


今回のカウンセリングでは
たくさんのことを話しました。
現在のことから
過去のことまで
多岐に渡っていますが
その中から数個
抜粋して書きたいと思います。

幼い頃の私は
1人で行動することが多く
小学校の4年生くらいから
病院に1人で行ったり
映画館に1人で行ったりしていたのですが
どうしてそうなったかと言えば
母親が駆け落ち蒸発してしまったのもありますが
それ以前に
あまり母を頼っていませんでした。

母は、実の母ですが
幼い頃から働きづめで
あまり接触がなかったのもありますが
口を開けば『グズ』だの『理屈っぽい』だの
文句しか言われなかったので
と言うのか
言葉の暴力に近かったので
母の前では勉めていい子にしていて
(でも、悪いことをしてしまう…)
母の顔色ばかりうかがっていて
あまり一緒にいて嬉しくなかったので
正直、母が蒸発してくれて
別に何とも思っていなかった節があります。
あるとすれば
それが引き金でいじめられるとかなのですが
それに気付くのがもう少しあとで
(母は、小3位に蒸発した)
その時はあまり考えていなかったですね。

それよりも
その小3の頃から
色んなことができるようになり
私が急に明るくなったので
母がいない方が
のびのびとしていたのかも知れません。

母は、蒸発しても
何度も出戻ったり蒸発したりの繰り返しで
不倫相手と別れたり寄りを戻したりで…)
それに対してはかなり冷めてましたね。
母が戻ってきても
また出て行っても
全く涙はありませんでした。

元々、母との楽しい想い出もないし
あるのは叱られた想い出ばかりで
しかも
これは発達障害がわかってからわかったのですが
私の特殊な時間軸のせいで
(すぐに過去になるけど、並びは同列)
『古いことをほじくり返す』
『根に持つ』など
古いことが昨日のことのように思いだされるのを
悪のように言われていたので
本当に母と話す時は
顔色をうかがいながら
やけに明るい
変なテンションで話していました。

それと理解の問題もあり
母が蒸発しても
そんなに深刻に受け止めてなかったのです。
小5の頃に
近所の年下の子に
「ひかりこちゃんのお母さんは逃げた。」
と、言われて
初めてそれを自覚したと言うのか
周りの人にそう見られているのかと
すごくショックを受けたのを覚えています。

思い返せば
その頃からいじめがひどくなり
不登校を繰り返していたような気がします。

そして、中1の途中で転校するとともに
蒸発していた母が戻ってきて
また一緒に暮らし始めたのですが
それ以後も
決して良い親子関係ではありませんでしたね。


母に関することは
まだまだたくさん話しましたが
今日はこの辺で…。

母や発達障害に関することで
少し気付きもあったので
そのお話は
状況の説明の後に書きますね。
まずは、状況説明から始めました。


昨日のカウンセリングにて [カウンセリング]


昨日のカウンセリング

今までの最長不倒を記録するくらい

長くて内容の濃いものでした。



話した内容は

先週、京都へ行ったことや

子供たちのことから始まったのですが

そのうち

幼少の頃の話や

仕事をしている頃の話をして

その後は

発達障害の話に移行して行きました。



と、言うのか

幼少の頃の話とかすれば

自ずと行きつく先は発達障害なので

それについてのことや

その中での気づきを話しました。



元々、臨床心理士のK先生は

丁寧にお話しを聞いてくれるタイプで

おっとりしていて話しやすいので

安心してお話しできるのですが

少し時間の管理が苦手らしく

いつも時間を超過してしまうのですが

今回は、私の方が止まらなかった感じです。

たくさんお話ししました。

丁寧に聞いて下さるので

とてもありがたかったです。



そんな話をしやすい雰囲気の中

本当にたくさんのお話をしました。



今回のカウンセリングの内容は

少しずつ書いていきたいと思います。

色々と多岐にわたっているし

重なる部分もあるかも知れませんが

根っこの部分はつながっているので

その点をご考慮して頂ければ幸いです。




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2つのカウンセリング [カウンセリング]


私は、2つのカウンセリングを受けています。

病院治療のためにと

民間で心を軽くするためにと。



元来、

カウンセリングを掛け持ちするのは

カウンセラーの世界では

混乱する元であるのと

1人に絞らないのは信用されてないからだと

なんか、変な理屈をこねていますが

私が、2人にかかっているのは

実は、自分の真に受けやすい特性を考慮してであって

その昔、1人のカウンセラーにかかったがために

その1人の言うことを真に受けて

カウンセリングに失敗したのもあって

2つのカウンセリングを受けています。



でも、これが私には合っていて

混乱をするどころか

ちゃんと上手く使い分けているらしく

とても良い具合に進んでいます。

このスタイルで、もう6年近くなりますし。



もちろん、最初からこのスタイルを望んだのではなく

成り行き上、こうなってしまったのですが

双方のカウンセラーの先生にも許可を取っているし

片方が母みたいな年の女性で

片方が年下の後輩みたいな男性で

キャラがかぶってないのも

成功している秘訣かも知れません。



それと、双方ともお話ししやすくて

私との相性も悪くありません。

相性って大事ですよ。

相性の合わないカウンセラーに

5年近くかかっていましたが

相性を求めてはいけないと思い込んでいて

最後には、自分を追い詰めてしまいました。



もちろん、私のケースが万人には当てはまらないし

そもそも、複数受けるといけないってのも

万人に当てはまるわけでもないし

その人に合ったスタイルで

カウンセリングを受けられたらって思いますよ。



そんな訳で

私は、2つのカウンセリングを受けていますが

これからは、その内容なんかも

書ける範囲でですが

書いていきたいと思います。



カウンセリングって

お金もかかりますし

そもそもどこでやっているのか?とか

どんな風なのか?とか

わからないことが多いと思うのですが

もし、心に何かを抱えていて苦しいのなら

少しお話を聞いてもらって

心を軽くすることもできると思うし

そうでなくても

自分探しなんかもできると思うし

ちょっと受けてみるのも

良いことだと思いますよ。





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